全日本大学駅伝2017年大会の感想
普段は全日本の感想は書かないのですが、今大会は面白いポイントが多かったので、マニアックな感想を公開します。
今大会の8区、8区のジンクス、4区の記録、7区にちょっとだけ関係する昔話、コース変更について書きました。
神奈川大・鈴木健吾選手と東海大・川端選手
アンカー8区。トップと17秒差の2位で襷を受け取った神奈川大・鈴木健吾選手の見事な、そして当然の逆転優勝。
箱根2区で67分17秒を出して区間賞を獲得した実績を持つ鈴木選手を相手にして、17秒の貯金で逃げ切れる選手は、現在の大学長距離界の日本人選手にはいないでしょう。
鈴木選手は57分24秒の爆走を見せ、この区間の日本人歴代2位を記録しました。
抜かれた東海大・川端選手も58分59秒の見事な好タイム。
1年時に箱根2区で1年生歴代上位に入る68分32秒の走りを見せたスーパールーキーも、その後は駅伝で目立った活躍は出来ませんでしたが、ついに4年生になって復活してきました。
この2人は箱根でも2区で対決するかも知れません。東海大は2年生にスター選手が多くいますが、箱根2区に一番向いているのは川端選手でしょうから。
鈴木選手(57分24秒)と川端選手(58分59秒)の逆転劇や力関係は、1995年大会の早大・渡辺選手(56分59秒)と中大・松田選手(58分43秒)の逆転劇を彷彿とさせるものがありました。
あの1995年大会は私が駅伝にハマるきっかけでした。
超個人的な事ですが、あの当時駅伝について良く妄想していまして、渡辺選手と松田選手の差が現実には1分31秒差でしたが、もしこれが1分差だったら、30秒差だったら、15秒差だったら、どんなレース展開になったのだろうか?早い段階で追いつかれたら松田選手はどの辺りまで粘れるのだろうか?と、そんな事を考えていました。
今大会の鈴木選手と川端選手の走りを見て、その妄想が現実になったかのようで嬉しかったです。
ちなみにそのシーズンの箱根2区では、松田選手は渡辺選手に1分35秒差をつけられていますが、全日本8区でついた差1分44秒と比べれば、より距離が長くなった箱根2区で健闘していました。
鈴木選手と川端選手が箱根2区で戦えば、走力的に見て鈴木選手が勝つのはほぼ確実でしょうけど、川端選手は全日本と比べてタイム差を縮める事が出来るでしょうか。
8区 過去の選手と対決
私がたまにやるマニアックな駅伝鑑賞方を今大会の8区でやっていました。
注目選手がスタートすると同時に、過去の名選手の録画をスタートさせて、比較しながら鑑賞するやり方です。
お目当ては当然鈴木選手。
箱根2区の爆走から考えて、57分30秒くらいは出せそうですから、それと近いレベルの選手ということで、2012年大会で57分32秒を出した駒大・窪田選手の録画を同時スタートさせて鑑賞していました。
これが予想以上の接戦になっていまして、鈴木選手と窪田選手は近い位置をずっと走り続けていました。
大会終了後にもう一度比較鑑賞してチェックすると、両選手が同時に映った場面では、
3kmのチェックポイント ミニストップ前。映っている角度が違うので確認しづらいがほぼ同じ位置を走っている模様。腕時計をチェックするタイミングがほぼ同じ。
5.50km辺り 進行方向別通行区分の道路表示。鈴木選手が5秒ほど前。(放送では5kmは鈴木選手14分11秒、窪田選手14分30秒と言われていますが・・・)
9.73km辺り 横断歩道。窪田選手が追いついている。鈴木選手がほんのわずかに前。
10.60km辺り 横断歩道。鈴木選手がほんのわずかに前。
度会橋の継ぎ目 どちらが前か判断つかない程に同時。
12.50km辺り 横断歩道。鈴木選手がほんのわずかに前。
13.40km辺り 制限速度の道路表示。鈴木選手が1秒ほど前。
14.68km辺り 横断歩道。鈴木選手が5秒ほど前。
16.04km辺り 道路標識。鈴木選手が5秒ほど前。
大鳥居 確認しづらいが、鈴木選手が5秒くらい前。
序盤に鈴木選手がリードを奪いますが、窪田選手が追いつき、その後は同時に画面に映る度に本当にほぼ同じ位置を走り続けている状態が長く続きました。
14.68km辺りで映った時には鈴木選手がリードをしていました。
この時は窪田選手は服部勇馬選手に追いついた頃なので牽制してペースが落ちた可能性もありますが、箱根の時にも思いましたが、やはり鈴木選手は後半になって強さを発揮する気がします。
陸上雑誌では神奈川大の大後監督は「後半伸びていない」と語っているので、本調子ならばまだタイムを伸ばせるようです。
次の箱根では鈴木選手には本当に2区の66分台を期待できそうですね。
8区のジンクス
ついにジンクスが破られました。
ここにも書きましたが、全日本のエース区間8区と、箱根のエース区間2区。
日本人で両区間で区間賞を取った事のある選手と、惜しかった選手(片方の区間が区間賞で、もう片方の区間が区間賞から1分以内の差で区間2位)をピックアップすると、出てくる選手の名前が、
達成 早大・渡辺選手
8秒届かず 山梨学大・中村選手
24秒届かず 駒大・藤田選手
26秒届かず 順大・三代選手
35秒届かず 順大・高橋選手&駒大・神屋選手
となっています。
達成した渡辺選手と1番惜しかった中村選手は、同じ時代に優勝を争っていた早大と山梨学大のエース同士で、全日本8区では両選手は一騎打ちの勝負を繰り広げた事もあり、渡辺選手が勝利。渡辺選手は中村選手の区間賞を本人の目の前で阻んでいます。
2番目に惜しかった藤田選手と、3番目に惜しかった三代選手も、当時優勝を争っていた駒大と順大のエース同士であり、個人としても当時は有名なライバル同士でした。
4番目タイで惜しかった高橋選手と神屋選手なんて、順大と駒大が名勝負を繰り広げていた「紫紺対決」真っ只中の時代のエース同士であり、両選手はチームを代表して箱根の花の2区に挑み、同時に襷を受け取り、同時に次の区間の選手に襷を渡して、区間2位タイを記録しています。
どういう理由かライバル対決しか出てこない上に、順番までもが綺麗にライバル同士で隣り合って並んでいます。
この不思議な状態は15年以上続いていましたが、今大会で神奈川大・鈴木健吾選手が区間賞から18秒差の区間2位の成績を残し、前シーズンの箱根2区の区間賞と合わせて、2番目に惜しかった選手となり、「日本人で全日本8区と箱根2区の両区間での区間賞を獲得した選手と惜しかった選手には因縁のライバル同士しかいない」という不思議なジンクスに爽やかな笑顔で風穴を開けてくれました。
8区ではもう一つジンクスが破られています。
それは日本人1年生最高記録です。
8区で60分を切るタイムを出した初めての日本人1年生は、1994年に59分38秒を記録した亜大・菅野選手。
菅野選手は10位と1分5秒差の11位という地味な位置でスタートし、最終的には10位と1秒差まで追い上げたものの11位のままでゴールしています。
2010年、日体大・服部翔大選手が菅野選手と並ぶ59分38秒を記録したものの、6位でスタートした服部翔大選手は、後方から追い上げてきた日大・ベンジャミン選手(区間タイム56分42秒)、東海大・村澤選手(区間タイム57分47秒)に抜かれてしまい、シード圏内の6位以内からはじき出される形になりました。
2012年、東洋大・服部勇馬選手が59分28秒を出して日本人1年生最高記録を更新。
しかしこの時のレース展開はトップでスタートして、駒大・窪田選手(区間タイム57分32秒)抜かれて2位に転落しています。
服部翔大選手の時もそうですが、56分台や57分台のペースは日本人1年生についていける速さではなく、見ていて気の毒になる展開でした。
全日本8区では日本人1年生最高記録を出す選手はチーム順位では報われないというジンクスが続いていました。
今大会で東洋大・吉川選手が59分08秒を出して日本人1年生最高記録を更新すると同時に、シード圏内の5位でスタートしてがっちりと5位を守ってゴールし、ついにこのジンクスも破られました。
5位でスタートして5位でゴールは一見地味なように見えますが、今大会では
3位でスタートして3位でゴールした青学大・鈴木選手が59分08秒
4位でスタートして4位でゴールした駒大・山下選手が59分20秒
6位でスタートして6位でゴールした中央学大・細川選手が59分30秒
7位でスタートして7位でゴールした早大・石田選手が59分11秒
8位でスタートして8位でゴールした帝京大・小森選手が59分36秒
と上位から中位にかけて、59分台の記録ラッシュとなっており、優勝争い以外の上位争いやシード争いはびっくりするほど動きのないアンカー勝負でしたが、このメンツの中で1年生がしっかりと5位を守って動かなかった事は評価できると思います。
全日本8区は他の区間よりも格段に長く、箱根駅伝並みの距離があります。それだけに、この区間での失敗は他の区間では考えられない大ダメージになってしまう事もあります。
過去には有力チームや、上位でスタートしたチームの選手でも61分以上や62分以上かかってしまったケースもありました。
吉川選手が大きく崩れたら、周囲が軒並み59分台を記録する速い流れの中では、大きくチーム順位を落とした可能性もあったでしょう。
吉川選手は1万m28分台ランナーですが、20km級のレースでいきなりのこの活躍には驚かされました。
東洋大の1年生は過去にも全日本で駅伝ファンを驚かせる走りをする事が多かったです。
吉川選手が破る前の全日本8区の日本人1年生最高記録保持者、服部勇馬選手。
後に東洋大のエースとして活躍し、箱根2区で2年連続区間賞を獲得し、その時代の大学長距界の頂点に立った選手でした。
服部勇馬選手の前の東洋大のエースは、1万m27分51秒54の記録を持つ東洋大歴代最速ランナーの設楽啓太選手。
全日本1区では、留学生を含めた中でも1年生最高記録保持者となっています。
さらに設楽啓太選手よりも前の時代に遡ると、全日本2区日本人1年生最高記録保持者である柏原竜二選手が東洋大の不動の大エースでした。
大学駅伝史上最も偉大な選手と言っても過言ではないでしょう。
近年の東洋大のエースは大学長距離界のエースになっています。
全日本デビュー戦でエース区間で活躍し、その後飛躍した先輩たちのように、吉川選手は東洋大のエースの系譜に名を連ねる事が出来るか。
今後の走りに、まずは次の箱根に注目していきたいと思います。
4区
今大会で一番驚いたのは実は8区ではなく4区でした。
城西大・管選手がまさかの区間賞。
しかも40分09秒という4区の日本人歴代3位のタイムを出しています。
トラックの持ちタイムでも、今シーズンの箱根予選会でも目立った実績は残しておらず、こんな力を隠し持っていたのには驚きました。
しかしもっと驚いたのは大東大・原選手です。足を引きずり、苦しそうに走りながら中継所にたどり着いた姿が放送された時には、多分45分はかかるような大ブレーキだろうと思いましたが、区間タイムは41分29秒という意外な好タイムでした。
駅伝で好走したと考えられるタイム。箱根6区の60分切りが有名ですが、私は個人的には、それと同じくらいレベルの好タイムは、箱根2区の70分切り、全日本2区の39分切り、全日本8区の60分切りだと考えています。
そして半端なタイムですが全日本4区では41分30秒切りだと考えていました。
まさかあんなに足を引きずる痛々しい姿で41分30秒を切ってくるとは思いませんでした。
原選手は16位からのスタートという事で、ほとんどテレビには映りませんでしたが、もしかしてテレビに映らなかった序盤、中盤にとんでもないハイペースで走っていてタイムを稼いでいたのかと、気になってしょうがなかったです。
41分29秒を記録した原選手が区間14位というのにも驚きました。
追い風が吹いた大会ですがそれにしても今大会の4区や8区はレベルが高かった。
それともうひとつ、今大会の原選手を見た時にすごく思い出した選手がいました。
それは日大・村越選手。2015年の箱根9区で、目の前で繰り上げスタートを見る事になる選手。
私はテレビを鑑賞しながら、多分73分はかかるようなブレーキ気味のタイムだろうと決めつけていたら、テレビ画面に表示されたタイムは70分28秒の好タイム。
しかしこの年の9区はハイレベルだった為区間10位という成績で、目の前で繰り上げスタートを見た悲劇の選手という事以外には、ほとんど注目される事はありませんでした。
好タイムなのにチーム順位でも区間順位でも報われない選手というのは、本当に可哀想です。
今月発売の月刊陸上競技。原選手について記事になっていないかと思ったのですが、全く触れていませんでした。
昔だったら区間別の解説があったので、その区間で特徴のある走りをした選手については少しは触れられる事があったのですが、最近はなくなっています。
どうも陸上雑誌の内容が前と比べて薄くなった気がします。
7区
明大・阿部選手の区間新記録が出た7区ですが、その破った記録というのが、2000年代初頭に箱根駅伝で別格の強さを誇った順大・野口選手の記録でした。
そして阿部選手を指導した明大の山本佑樹コーチは、現役時代には1990年代終わり頃に大学長距離界のエースだった日大・山本佑樹選手。
野口選手と山本選手、この2人は忘れられない存在でした。
あの時代を振り返って昔話を少々。
1990年代終わり頃から、2000年代初め頃、大学長距離界はスーパーエース不在の時期でした。
爆走を期待させる持ちタイムや実績。実戦では他チームのエースや準エースを圧倒する派手な強さ。こういった要素を持つ華々しい選手が少なくなった時代でした。
1996年に早大・渡辺選手と山梨学大・マヤカ選手が卒業し、1997年に早大・小林選手と山梨学大・中村選手が大学長距離界から去ると、大学駅伝は急激に地味になってしまいました。
どういうわけか、山梨学大の留学生のレベルもダウンし、1997年〜1999年の箱根を走ったワチーラ選手は走力不足で箱根では区間2位が最高成績。
さらに後を継いだカリウキ選手(2000年〜2003年箱根出場)に至っては、最初の3年間の箱根は凡走かブレーキしかありませんでした。
ずば抜けた走りをする選手が全くいないわけではありませんでしたが、箱根とは無関係の九州の大学の選手だったり、下りに特化した6区のスペシャリストだったり、チームが箱根に出れたのが1回だけだったり、爆走したのは4年生の時の箱根1発だけだったりと、どうもあの時代にはエース区間や準エース区間で他を圧倒し続け、見る度に駅伝ファンをワクワクさせてくれるようなスーパーエースの存在が不足していたと記憶しています。
日大・山本佑樹選手。
2年生の時に出場した箱根駅伝1998年大会の2区。
日本インカレ1万m優勝、ベストタイム28分36秒の走力を武器に、5kmを14分10秒台で飛ばし、後半は流石に失速してしまったものの、68分43秒を記録。
その派手な走りとまだ2年生という事もあり、新時代のスーパーエース候補として注目していました。
当時中大を応援していた私ですが、ライバルの日大の選手とはいえ山本選手個人の走りには期待してしまいました。
3年生の時には1万mで28分24秒を記録。
当時は2ちゃんねるすらない時代で、1万mのタイムの情報なんてネットでは出回らず、陸上雑誌を見てびっくりした記憶があります。
当時は28分30秒を切る選手は非常に少なく、山本選手のタイムは日本人学生歴代6位の記録でした。
ハーフマラソンでも20kmで言えば58分台相当の62分ジャストを記録。
駅伝ではどれくらいのタイムを出してくれるのかと期待させてくれました。
しかし3年時の箱根1999年大会では、区間新記録を出した順大・三代選手について行く事が出来ず、区間タイムは69分42秒と前年よりも大きく落とします。
そして4年時に迎えた2000年大会。そのシーズンの日本インカレ1万mで2回目の優勝を果たした学生長距離界のエースは、故障により箱根は欠場に終わります。
山本選手が出場できなかった2000年大会。準エース区間の4区で派手な箱根デビューの快走を見せたのが順大の2年生野口選手でした。
山本選手とは逆に、1万mで29分を切った事はなく、持ちタイムはそれほどではありませんが、実戦になると鬼のように強い。
箱根デビュー戦となる2000年大会では、4位でスタートすると、前を走っている最大のライバル校である駒大に追いつきます。
初出場にも関わらず、駒大の主将を相手に競り勝つと、みるみる内に差を広げていきます。
トップを走っていた帝京大も捉えて3人抜きで首位を奪うと、これもみるみる内に差を広げていく。
62分14秒のタイムで区間賞を獲得し、区間2位に30秒、区間3位に50秒差をつけて他を圧倒しました。
2001年大会は更に圧巻の走りを披露。4区でケニア人留学生を相手に51秒差をつけて区間賞を獲得します。
日本人2位には1分33秒、日本人3位に1分34秒、日本人4位には2分22秒という大差をつける走りは、1人だけ全く速さが違いました。
しかし、この年は向かい風が強く、区間タイムは66分00秒に留まっています。向かい風さえなければ、区間記録の60分56秒には流石に届かなかったかも知れませんが、前年以上のタイムは狙えたでしょう。
もしかしたら1995年に早大・小林選手のマークした4区歴代2位記録の61分35秒にも迫ったかも知れません。
そして最後の箱根となった2002年大会は山上りの5区に出場。
この年は神奈川大のエース吉村選手が1万m28分30秒の走力を活かして5区で逆転往路優勝の快走を見せました。
しかし、その吉村選手の後方、恐ろしいスピードで爆走する選手がいました。
吉村選手を相手にして、大平台で23秒、小涌園で1分02秒、芦之湯では1分21秒も上回る走りを見せたのが野口選手です。
最終的には区間2位の吉村選手に1分差、区間3位に2分04秒差をつけて、またも他を圧倒。
出場する度にその強さには磨きがかかり、貫禄の区間賞獲得。
しかし、この年も5区は向かい風が吹いており、区間タイムは平凡な72分32秒となっています。
向かい風さえなければ、吉村選手とのタイム差から考えて、1996年に1万m28分09秒の走力で70分27秒を出した小林選手の走りにも迫ったか、あるいは超えていても不思議ではないと感じました。
ちなみにネットスラングの「神」は2002年にはすでに2ちゃんねる等で使われていました。
2002年大会の5区で向かい風が吹かなかったら、もしかしたら「初代山の神」は今井選手ではなかったかも知れません。
速かったけれど箱根では活躍できなかった山本選手。強かったけれど向かい風に阻まれてタイムを伸ばせなかった野口選手。
結果的には両選手共に、箱根駅伝で歴史に残るような大記録を出す事は出来ませんでした。
最近では陸上雑誌や箱根駅伝関係の書籍などでもこの2選手に触れている記事は中々見る事はありません。
箱根駅伝の知名度は突出して高く、そこで区間歴代上位に名を残さなければ、やはり忘れられていってしまうのが現実です。
しかしこの2選手は、スーパーエースが不在だった時期に、あの当時の駅伝ファンに多大なワクワク感を与えてくれた選手達でした。
山本選手がコーチとなって指導した選手が、野口選手の全日本の区間記録を破ったというのは、何か感慨深いものがあります。
余談ですが私のハンドルネームの「ユウキ」の部分は由来の1人が山本佑樹選手だったりします。
それと90年代に応援していた中大にいた豊田雄樹選手、2000年代に大活躍した東海大・佐藤悠基選手など、ユウキという名の響きがかっこよかったので、勝手にハンドルネームで名乗るようになりました。上についてるヒカワは本名を少しもじったものですが。
コース変更と永久記録
トップ神奈川大が大会記録に迫るペースで伊勢路のゴールへと驀進している時、大会新記録が出れば来年からコース変更が行われるため永久記録になる、という事をアナウンサーが語っていました。
それを聞いて私は苦笑してしまいました。
近年、大学駅伝の記録が永久記録になるケースは多い。
出雲駅伝なんてしょっちゅうコースが変わるし、箱根駅伝も変更は多い。
コース変更がされた時は、変更前の区間記録や総合大会記録は、永久記録として残るらしいです。
この永久記録という物にどれだけの価値があるのでしょうか。
箱根の10区の永久記録。
現在の23km区間になる前のコースの区間記録と選手は誰か、これをさっと答えられる人は少ないと思いますが。
答えは早大・遠藤選手の64分05秒。
私がこの記録を覚えているのには理由がありました。
初めて箱根駅伝を録画して鑑賞した1996年大会。
応援していた中大が見事に優勝し、そのアンカーを走った大成選手は、2位の早大との差を2分も広げる走りでした。
区間成績も2位と好成績でしたが、区間賞は大成選手を1分半も上回った山梨学大・渡辺選手。
そのタイム差から、なんて凄い選手なんだと当時の私は驚愕しました。
しかし10区の区間記録を調べてみると、その渡辺選手を更に1分半超えるタイムが載っていました。それが遠藤選手の記録です。
1999年に10区の距離が1.7km延長されて現在のコースになり、誰も破る事の出来なかった遠藤選手の記録は永久記録となりました。
それから10数年の歳月が過ぎ、箱根駅伝の人気は当時よりも更に上昇していますが、駅伝関係のブログ等を見ても、遠藤選手の話題を見る事はほとんどありませんでした。
もしほとんどの人たちに忘れられてしまうのならば、永久記録化と記録抹消は大した差はないと感じるのは私だけでしょうか?
全日本大学駅伝は来年の大会から第1〜第6中継所の位置が変更される事がすでに発表されています。これは8区を除く全区間が変更になる事を意味しています。
私は全日本大学駅伝が箱根駅伝に勝る大きなポイントは区間の変更がない事だと思っていました。
もう四半世紀に渡ってコース変更がなく、混乱の原因になる再計測も行わなかった事は、伝統や区間記録の価値を大事にしていて素晴らしいと思っていました。
来年が50回大会の節目とはいえ、8区間中7区間を一気に変えてしまうとは残念です。
2区では数多くの強豪が走った中で区間記録となっている山梨学大・オムワンバ選手の記録や、日本人最高記録の早大・大迫選手の記録。
1区の鹿屋体大・永田選手の41分56秒、4区の駒大・村山選手の39分24秒。
これらの記録も公式の区間記録や、日本人最高記録ではなくなってしまいます。
永久記録となっても、数年くらいの期間ならば多くの人たちも覚えているかも知れないけど、10年、20年となると選手たちも昔の区間記録の価値なんてわからないでしょう。
特に村山選手の出した4区の記録は、強力なアフリカ人留学生が走らない限りは、本当に数十年は区間記録として残っても不思議ではないタイムだと思います。
20年後に伊勢路を走る選手たちは、村山選手の記録を目標にする事はないかも知れない、そう考えると今から切なくなります。
今回の全日本の感想記事は書くのに3週間近くを要しました。その間に箱根駅伝が100回大会から全国化される可能性があるというニュースを見ています。
全日本も箱根も変わっていってしまうのでしょう。
私は今の形を崩さないで欲しいとどうしても思ってしまいますが。
高校駅伝の総距離が42.195kmから変更されたら違和感がありますが、それと同じで、長年大学長距離を見ていると大学駅伝の形が現在と変わってしまうのには、違和感、それに寂しさを感じてしまいます。
個人的な問題としては、HPが無かった頃も含めてもう10年もやっている駅伝SLGでの箱根駅伝予想。
全日本のタイムは重要データと考えているので、7区間もコース変更があると、来シーズンからはデータ入力のやり方を大幅に変えないといけなくなります。
全日本はこれまで四半世紀に渡ってコース変更がありませんでした。
来年から大幅に変わるのならば、特別な事情がない限りは、今度こそ出来る限りコースを変えずに、また四半世紀かそれ以上は同じコースで続けて欲しいと思います。
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