2019年大会の感想 (4)
記録ずくめの今大会で、ついに出た!記録等について語りました
目次
① 2区 日本人最高記録
② 4区 事実上の最高記録
③ 6区 山下り最強ランナー
④ 総合10位タイム、総合20位タイム
・ 2区 日本人最高記録
ついに出ました!
2区で順大・塩尻選手が66分45秒を記録し、順大・三代選手が99年大会で出した66分46秒を超えました。
2区では塩尻選手と日大・ワンブィ選手による66分台対決という史上初の出来事もありましたが、やはり日本人最高記録を塗り替えてくれたのが何よりインパクトがありました。
駅伝ファンはこの記録が出るのを20年間も待っていたのです。
私のわかる範囲で2区を語ります。
95年大会の2区で、早大3年生の渡辺選手が、2区史上初の67分切りを達成する66分48秒を叩き出します。
渡辺選手は翌年の4年時も2区に出場し、37秒前にいたトップのチームに僅か2.4km走っただけで追いつくという強さを見せつけました。
スピードの違いが、選手の力の差が、本当に目に見えるというのは、駅伝ファンになりたてだった私には衝撃的で、録画したビデオを何度も繰り返し見てしまいました。
この年の渡辺選手の区間タイムは66分54秒。
圧倒的な強さを見せたのにも関わらず、前年に出した自身の区間記録には僅かに届きませんでした。
渡辺選手卒業後の箱根駅伝で、2区の記録を塗り替える選手が出てくるなんて想像も出来ませんでした。
しかし、運命の99年大会。不滅かと思われていた渡辺選手の記録を、たった4年で更新したのが順大・三代選手でした。
三代選手の1万mのベストは28分30秒、全日本8区のベストも59分38秒に留まり、渡辺選手3年時のベスト(1万m28分07秒、全日本8区57分19秒)、4年時のベスト(1万m27分48秒、全日本8区56分59秒)と比べて大きく劣り、まさか区間新記録を出すほどの力を持っているとは思いませんでした。
前年の2区で68分18秒を出している三代選手ならば、68分切りを狙う事はあると思いますが、67分切りは全く考えられませんでした。
ちなみに68分切りでも、この時点での過去の達成者は日本人では3人だけでした。
三代選手は横浜駅前の通過時点では区間記録から20秒遅れ、15km過ぎにある権太坂では、区間記録ペースが不明ながらも大体の推測タイムからは20数秒の遅れと、67分台前半を狙えるペースで粘ると、2区終盤にあたる権太坂以降では驚異的なペースアップをして、67分を大きく切る66分46秒の区間記録を樹立。
2秒とはいえ渡辺選手の記録が塗り替えられたのには心底驚きました。
私は99年大会は鶴見で観戦後に電車で小田原に向かっていたのですが、電車の中でポータブルテレビを見ていて、区間新記録が出たときには「えーっ!?」と声が出てしまいました。
それだけ驚愕の区間新記録でしたが、1万m28分30秒の三代選手に出来たのならば、この先にはまた新しい選手によって記録が更新される可能性もあるのではないかと思いました。
しかしその後、数々の実力者が挑んだものの、08年大会と09年大会の山梨学大・モグス選手を除いては、アフリカ人留学生ですら三代選手を超える選手は現れませんでした。
00年~07年の主な強豪選手
平成国大・カーニー選手
01年大会で1万m27分47秒という史上最速の学生ランナーとして2区に挑むが、向かい風に阻まれて67分43秒でした。
中大・藤原選手、駒大・松下選手
藤原選手は1万m28分17秒、松下選手は28分29秒とどちらも三代選手を超える走力を持ち、03年大会の2区終盤で一騎打ちのトップ争いを展開。
藤原選手が67分31秒、松下選手が67分58秒と、両者68分切りの好記録を出しましたが、三代選手の区間記録との差は45秒、1分12秒と大きく開きがありました。
山梨学大・モカンバ選手
出雲駅伝での圧倒的な強さでの逆転優勝や、全日本8区のベストで57分台を持つなど、00年代前半のスーパーエースだったモカンバ選手。
4年時の05年大会の2区では67分47秒を記録しましたが、区間記録には1分余り届きませんでした。
東海大・伊達選手
1年時の05年大会で2区1年生最高記録となる68分04秒を出し、「三代超え候補」の最有力と期待された伊達選手。
このタイムは日本人限定の1年生最高記録ではなく、かつての山梨学大の名選手だったオツオリ選手やマヤカ選手の1年時のタイムも超える、正真正銘の1年生最高記録でした。
伊達選手は2区を3回走りましたが、3年時に67分59秒、4年時に67分50秒と徐々にタイムを伸ばしたものの、三代選手には1分余り及びませんでした。伊達選手は大学1年生で既に完成されていたようなランナーでした。
08年大会でモグス選手が2区の区間記録を塗り替えました。
それ以降は三代選手の66分46秒は日本人最高記録となりますが、破られるまでに更に11年を要する事になりました。
08年以降の主な強豪日本人選手
早大・竹澤選手
2年時の07年大会で67分46秒のタイムで2区区間賞を獲得。
3年時に1万m27分45秒を記録して期待されますが、3年、4年の箱根は2区を回避。
中央学大・木原選手
3年時の08年大会で67分42秒を出し、4年生では1万m28分06秒を記録。
しかもこのタイムは日本選手権で8000m過ぎまで自らトップを引き続けて出したものでした。
駅伝ではモグス選手に食らいつくなど気合いの入った走りを見せる事もあり、私が個人的にもっとも期待したランナーでした。
しかし4年時の2区は68分台のタイムに留まり、力を出し切る事は出来ませんでした。
東海大・村澤選手
1年時の10年大会で68分08秒を出して将来を期待され、2年時の11年大会では66分52秒へと大きく記録を伸ばし、その期待に応えました。
三代選手には6秒届かなかったものの12年ぶりの日本人67分切りでした。
まだ2回のチャレンジを残している村澤選手には大きな期待がかかりましたが、3年時は68分台にタイムを落とし、4年時はチームが予選落ちするという悲劇に見舞われています。
明大・鎧坂選手
3年時の11年大会で67分36秒を記録。
4年時に1万m27分44秒の走力を身につけますが、最後の箱根は2区を回避。
青学大・出岐選手
2年時の11年大会で67分50秒、3年時の12年大会で67分26秒とレベルの高い記録を連発しましたが、最後の箱根は2区を回避 。
早大・平賀選手
2年時の11年大会で67分50秒を出し、同タイム同学年だった出岐選手と共に期待されましたが、その後は68分を切れませんでした 。
東洋大・設楽啓太選手
1年時の11年大会、2年時の12年大会と連続で68分一桁で走る強さを見せその後が期待されました。
3年時と4年時には1万m28分前後の走力を身につけますが、3年時の箱根2区は強い向かい風が吹きタイムが伸び悩みました。
4年時は山上りの5区に出場。
駒大・村山選手
3年時に迎えた13年~14年シーズンの全日本で驚異的な爆走を見せて、その後の箱根が期待されましたが、箱根2区では68分台のタイムで爆走とはなりませんでした。
4年時には1万m27分49秒を持ち、最後の箱根2区に出場したものの、タイムは67分46秒となり、最後まで箱根では力を出せませんでした。
その後は、
村山選手が最後の箱根を走った15年大会では東洋大・服部勇馬選手が快走し、
服部選手が最後の箱根を走った16年大会では青学大・一色選手が快走し、
一色選手が最後の箱根を走った17年大会では神奈川大・鈴木選手が快走し、
鈴木選手が最後の箱根を走った18年大会では青学大・森田選手、東洋大・相澤選手の快走がありました。
日本人最高記録を狙える選手や、その時点では無理でも将来は期待出来る選手は数多くいました。
2区で67分切りや日本人最高記録を狙えるという事は、箱根駅伝の平地区間では史上最高レベルの選手という意味です。
数多くの強豪選手が挑んでも超えることの出来なかった66分46秒という大記録。
塩尻選手の登場により、20年という選手たちの年齢ほどの時間をかけて、やっと1秒更新される事になりました。
塩尻選手は1年時、2年時は1万m28分32秒のベストを持ち、箱根2区では68分30秒、68分06秒と好走しています。
持っている力をしっかりと出せる強い選手という印象でした。
しかし3年時には1万m27分47秒という速さを身につけたものの、箱根2区では69分台に終わり、今までとは逆の、速いけど強くないという印象の走りになってしまいました。
今大会の2区では1万m27分47秒の塩尻選手には当然日本人最高記録の期待がかかりますが、前年の2区で67分15秒と18秒の記録を出した森田選手と相澤選手の方により大きな期待をしていました。
その森田選手と相澤選手が2区を回避したため、今大会での日本人最高記録更新はちょっと難しいだろうと思った矢先の塩尻選手の爆走でした。
塩尻選手は強さと速さを兼ね揃えた選手にしっかりと成長していました。
数年で塗り替えられると思っていたのに、更新に20年もかかった華の2区の日本人最高記録。
私が駅伝オタクになってから23年とちょっとですが、そのうちの20年間はモヤモヤしたものを感じていました。
2区の進化が見れて本当に良かったです。
記録速報で確認できる塩尻選手のペース配分を見ると、横浜駅前~権太坂の中盤の速さが目立ちます。
横浜駅前 23分17秒
権太坂 43分41秒 (横浜駅前から20分24秒)
戸塚中継所 66分45秒 (権太坂から23分04秒)
95年の渡辺選手のタイムは推測が混ざりますが、過去の日本人66分台ランナーと比較すると、中盤で10秒以上、三代選手との比較では18秒もタイムを稼いでいました。
99年 順大・三代選手
横浜駅前 23分21秒
権太坂 44分03秒 (横浜駅前から20分42秒)
戸塚中継所 66分46秒 (権太坂から22分43秒)
11年 東海大・村澤選手
横浜駅前 23分06秒
権太坂 43分44秒 (横浜駅前から20分38秒)
戸塚中継所 66分52秒 (権太坂から23分08秒)
96年 早大・渡辺選手
横浜駅前 23分02秒
権太坂 43分39秒 (横浜駅前から20分37秒)
戸塚中継所 66分54秒 (権太坂から23分15秒)
95年 早大・渡辺選手
横浜駅前 23分01秒
権太坂 43分36秒(推測) (横浜駅前から20分35秒)(推測)
戸塚中継所 66分48秒 (権太坂から23分12秒)(推測)
最近では、67分を惜しくも切れなかった東洋大の服部勇馬選手や相澤選手が、中盤部分だけならば66分台ランナーにも負けないペースで走っていました。
16年 東洋大・服部選手
横浜駅前 23分16秒
権太坂 43分46秒 (横浜駅前から20分30秒)
戸塚中継所 67分04秒 (権太坂から23分18秒)
18年 東洋大・相澤選手
横浜駅前 23分21秒
権太坂 43分53秒 (横浜駅前から20分32秒)
戸塚中継所 67分18秒 (権太坂から23分25秒)
今回の塩尻選手の中盤は20分24秒を記録し、67分前後の走りをした日本人選手の中では服部選手を上回る最速の中盤でした。
私は2区で日本人最高記録を出すには序盤が何より大事だと考えていました。
過去の選手の平均から理想の日本人最高記録ペースは以下のような感じだと思っていました。
横浜駅前 23分07秒
権太坂 43分41秒 (横浜駅前から20分34秒)
戸塚中継所 66分46秒 (権太坂から23分05秒)
私は横浜駅前で23分07秒から10秒遅れたらもう取り戻すのは難しいと考えていましたし、中盤で20分30秒を切るのはオーバーペースだとも思っていました。
塩尻選手は横浜駅前が23分17秒で上記のペースから10秒遅れでしたが、中盤で20分24秒を記録して一気に追いついています。
前回の相澤選手や、3年前の服部選手も中盤がとても速かったので、中盤でタイムを稼ぐのが新しい2区の攻略法なのかも知れません。
記録ずくめの今大会では「ついに出た!」が数多くありましたが、その中でも待望の2区日本人最高記録を塗り替えた塩尻選手の走りが一番印象的でした。
・ 4区 事実上の最高記録
4区でもついに出ました!
2区で20年ぶりに日本人最高記録が出ましたが、4区でも事実上の最高記録と言える駒大・藤田選手が99年大会で出した60分56秒を上回る60分54秒の記録が出ています。
藤田選手の記録を上回ったのは東洋大・相澤選手。
前年の2区で67分18秒を記録した相澤選手ならば、4区では61分台前半はいけると思いましたが、それ以上の爆走でした。
4区の歴史を少し語ると、初めて62分の壁を破る区間記録は95年に早大・小林雅幸選手が記録した61分35秒でした。
小林選手の当時の1万mのベストは28分22秒。
1万m29分を切る選手が珍しい時代に28分台前半の記録を持つ、90年代の学生長距離界でもずば抜けた実力者でした。
2区の渡辺選手が出した記録と共に、更新が難しい大記録とされていた小林選手の4区の記録を塗り替えたのが、99年大会の藤田選手でした。
藤田選手の1万mのベストは28分40秒であり、渡辺選手と三代選手ほどの差はなくても、1万mのタイムでは区間記録保持者には差をつけられていましたが、2区で区間新記録を出したライバルの走りに刺激を受けて、小林選手の区間記録を大きく上回る事を目標にしたそうです。
前半から区間記録ペースに匹敵するスピードで攻める藤田選手の走りは、後半になっても全く鈍りませんでした。
後半に強さを見せるレース展開は2区の三代選手と近いものがありました。
三代選手との違いは、その後半のペースアップによって区間記録を大幅に上回った事でした。
藤田選手は小林選手の区間記録を39秒も塗り替える60分56秒の区間記録を樹立しました。
4区2例目の62分切りの記録は、初の61分切りにまで達しました。
4区の61分切りという記録の価値は、95年大会で2区66分48秒を出した渡辺選手と、4区61分35秒のタイムを出した小林選手の走力の比較で、ある程度わかると思います。
95年大会では渡辺選手が1万m28分07秒のタイムを持ち2区で66分48秒を出し、小林選手は1万m28分22秒のタイムを持ち4区で61分35秒を出しています。
次の年度には両選手は1万mのタイムをそれぞれ27分48秒と28分09秒に伸ばしています。
このタイムは当時の日本人学生歴代1位と3位であり、 小林選手は史上最強と言われた渡辺選手ほどの知名度はありませんでしたが、「史上最強の準エース」と言える存在でした。
最強コンビではあったものの力は常に渡辺選手の方がワンランク上でした。それは全日本8区のベストタイムが、渡辺選手が56分59秒、小林選手が57分46秒であった事にも表れていると思います。
両選手とも力をきっちりと出して快走出来る強さを持った選手だったので、タイム差からこの二人の力の差はわかりやすいものがありました。
両選手は箱根で同じ区間を走ったことはありませんが、2区を66分台で走った渡辺選手がもしも4区を走ったとしたら、小林選手よりも30秒~50秒くらい上を行くと予想できます。
そうすると4区の61分切りは2区の67分切りと同じくらいの価値と考えられます。というかそう考えないほうが不自然です。
藤田選手がもしも2区を走っていたら、19秒後ろにいたライバルの三代選手と66分台対決になっていた可能性はかなり高かったでしょう。
藤田選手が大記録を出した後の4区では、同じコースが使われた00年~05年では、気象条件に恵まれない年もあり、その後が期待出来る日本人選手はいたものの、区間記録に迫る選手は現れませんでした。
00年~05年の主な強豪選手
順大・野口選手
2年時の00年大会で62分14秒を記録し区間賞を獲得。
翌年も4区で圧倒的な強さを見せて連続区間賞を獲得したものの、タイムは向かい風に阻まれて低調でした。
最終学年は山上りの5区に出場。
駒大・松下選手
1万m28分29秒のタイムを持ち、3年時の02年大会で、終盤に向かい風にさらされながらも62分24秒を記録し区間賞を獲得。
翌年は2区に出場。
日大・藤井選手
1万m28分39秒のタイムを持ち、3年時の03年大会で62分04秒を記録。
翌年は2区に出場。
03年大会で山梨学大の4年生・カリウキ選手が1万m28分16秒の走力を活かして61分32秒を記録しましたが、藤田選手とはまだ36秒の差がありました。
カリウキ選手の走りが、00年~05年で62分を切った唯一の例でした。
06年大会から4区のコースは18.5kmに短縮されます。
06年~16年の間は距離の短さから強豪選手が出場するケースは少なく、4区は05年までの準エース区間から、つなぎ区間へと重要度の大幅な低下が見られました。
18.5km時代の最高記録を05年までと同じ距離に換算すると、距離の違いに二つの説があり61分31秒~61分52秒くらいになります。
短い距離から長い距離に換算しているのにも関わらず、藤田選手には約30秒~1分も届きません。
距離が長くなるとペースが落ちる事や、18.5kmのコースは終盤の上り坂がカットされている事を考慮すると、実際の差はもっと大きいでしょう。
4区は17年大会からは05年大会までとほぼ同じコースに戻りますが、ずっと同じコースが使われている2区とは違い、途中で11年間も別コースに変わっていた事や、4区で活躍した選手は翌年はもっと重要区間に移ってしまうケースもあり、レベルの高い記録が出づらい条件でしたが、藤田選手の60分56秒という記録は20年もの間、ケニア人留学生選手を含めても誰もかすりもしない記録でした。
そんな偉大な記録を2秒更新した相澤選手の走りは見事でした。
相澤選手のペースは序盤がとにかく速い印象です。
二宮 25分31秒
小田原本町(旧市民会館) 50分53秒 (二宮から25分22秒)
小田原中継所 60分54秒 (小田原本町から10分01秒)
99年 駒大・藤田選手
二宮 25分54秒
市民会館(後の小田原本町) 51分06秒 (二宮から25分12)
小田原中継所 60分56秒 (市民会館から9分50秒)
藤田選手のペースと比較すると二宮までで23秒もタイムを稼いでいました。
序盤で稼いで逃げれるだけ逃げる、先行逃げ切りでの区間新記録は実に男らしいです。
今大会では2区で塩尻選手、3区で青学大・森田選手が日本人最高や区間新を出しましたが、序盤から単独走で先頭を切ってハイペースで攻め続けた相澤選手がもっとも華のある走りでしたね。
最終学年になる来年はもちろん2区での爆走を期待したいです。
2区の塩尻選手と4区の相澤選手の活躍でついに伝説の記録に終止符が打たれました。
三代選手と藤田選手は、99年大会での2区での直接対決こそありませんでしたが、あの大会が終わった後も、どちらが長く最高記録として残るか?という形でずっと戦い続けていたように錯覚してしまいます。
2区の日本人最高記録と、4区の事実上の最高記録は、更新されるまでにかかった期間はどちらも20年。
2区の三代選手の記録を更新したのが同じ順大の塩尻選手ならば、藤田選手の記録を超えた相澤選手は大学は違うものの出身が同じ福島です。
どちらの記録も「後輩」によって塗り替えられるという所まで同じでした。
引き分けという結果で運命的なライバル対決がやっと終わったような気がします。
99年大会では実現しなかった三代選手と藤田選手の戦い。
もう少し遡れば、渡辺選手と山梨学大・マヤカ選手のライバル関係も有名でしたが、この二人が3大駅伝で肩を並べて走った事はなかったそうです。
実現しなかったからこそ、見たかったという思いがより一層駅伝ファンに「伝説のライバル対決」を語らせるのかも知れませんが、今後の新しい時代の選手たちには、2区でライバルと肩を並べて競い合い、そして新しい伝説になって欲しいですね。
・ 6区 山下り最強ランナー
6区でもついに出ました!
青学大・小野田選手が山下りの6区で58分切りを達成する57分57秒の区間新記録を達成。
過去3大会の実績と合わせて、間違いなく山下りにおける史上最強のランナーとなりました。
山下り史上最速記録は、83年大会で出た57分47秒ですが、85年大会以前は現行コースとの距離の違いがはっきりとしていません。
83年大会の57分47秒は現行コースの距離のタイムに直すと、選手の速度を時速20kmとした場合、発表されている変更距離を額面通りに受け取れば約58分09秒、発表されている変更距離に四捨五入が入っている場合は最大で58分00秒になり、これまでの日体大・秋山選手が保持していた現行コースの区間記録58分01秒は、本当に僅かながら旧コースの記録に劣る可能性がありました。
今大会で小野田選手が58分を切った事により、現行コースの区間記録は間違いなく6区史上最速記録となったと言えると思います。
2区と4区で20年間破られなかった記録を上回る大記録が誕生しましたが、6区の57分台もまた、99年大会で区間記録が当時のコースで58分06秒まで伸び、57分台はいつ出るか?いつ出るか?と20年間駅伝ファンに待ち望まれていた記録でした。
小野田選手は、今大会で区間新記録を出した事により、ベスト記録、セカンドベスト記録、サードベスト記録、フォースベスト記録の全てで歴代1位になりました。
ベスト記録トップ10
1位 57分57秒 青学大・小野田 19年
2位 58分01秒 日体大・秋山 17年
3位 58分06秒 東海大・中島 19年
4位 約58分10秒 神奈川大・中澤 99年 (58分06秒+4秒)
5位 58分12秒 東洋大・今西 19年
6位 約58分14秒 駒大・千葉 11年 (58分11秒+3秒)
7位 約58分19秒 明大・廣瀬 14年 (58分16秒+3秒)
8位 約58分24秒 大東大・金子 01年 (58分21秒+3秒)
9位 58分30秒 法大・坪井 19年
10位 58分31秒 早大・三浦 15年
セカンドベスト記録トップ5
1位 58分03秒 青学大・小野田 18年
2位 58分09秒 日体大・秋山 16年
3位 約58分18秒 駒大・千葉 13年 (58分15秒+3秒)
4位 約58分22秒 明大・廣瀬 13年 (58分19秒+3秒)
5位 58分36秒 東海大・中島 18年
サードベスト記録トップ5
1位 58分31秒 青学大・小野田 16年
2位 59分29秒 日体大・秋山 15年
3位 約59分42秒 駒大・千葉 12年 (59分39秒+3秒)
4位 59分49秒 中央学大・樋口 17年
5位 約59分50秒 大東大・金子 00年 (59分47秒+3秒)
フォースベスト記録トップ5
1位 58分48秒 青学大・小野田 17年
2位 約59分47秒 駒大・千葉 10年 (59分44秒+3秒)
3位 約60分02秒 大東大・金子 99年 (59分58秒+4秒)
4位 約60分04秒 中大・野村 05年 (60分01秒+3秒)
5位 60分14秒 中央学大・樋口 19年
現在のコースと距離が近くなった86年大会以降
現在よりも約24m短い86年~99年コースに+4秒、現在よりも約20m短い00年~14年コースに+3秒で現在のコースのタイムになるとした場合
小野田選手は史上初の4年連続59分切りを達成しました。
59分を3回切った選手すらも他にはいない中での快挙です。
歴代の山下りの名選手と比べても完全に別格の実績を残しました。
「山下り最強ランナー」は、以前は候補は多くてもどの選手も決め手に欠ける印象でしたが、17年大会終了時に日体大・秋山選手の残した実績によってやっと決着がついたかと思いましたが、その後たった2年で、小野田選手は明確に秋山選手を超える実績を残しました。
テレビでは「山下りの風神」と言われ、陸上雑誌では「チームを支え続けた山下りの守護神」と書かれていて、個人的には山上りと合わせて4代目山の神になって欲しかったですが、やっぱり小野田選手は神でしたね。
小野田選手の4回の平均タイムは58分19秒50を記録。
駒大・千葉選手が現在よりも約20m短いコースで残した58分57秒25という記録もありますが、現在の距離だと59分を僅かに超える可能性が高いです。
小野田選手の記録は現在の距離ならば史上初の4回平均59分切りと言って良いでしょう。
他にも4回走った区間順位が2位、2位、1位、1位となり、平均区間順位で1.5位を記録。
これは02年大会~05年大会に出場した中大・野村選手が残した4回平均区間順位1.5位(3位、1位、1位、1位)と並び、出場回数が4回までに制限されてからは6区の最高記録です。
おそらく山下りの歴史で小野田選手ほど完璧な成績を残した選手は他にはいないと思います。
今大会で小野田選手と共に4年連続60分切りがかかっていた中央学大・樋口選手が、60分14秒のタイムでフォースベスト歴代5位に地味にランクインしています。
60分を切って欲しかったですね。
かつての野村選手もそうでしたが、1年~3年生で60分切りを達成し、ベスト記録は59分すら切っているのに、最終学年で60分オーバーになってしまうのには、箱根駅伝で活躍し続ける事の難しさが現れている気がします。
それだけに、成長し続けて、活躍し続けた小野田選手がより一層偉大に感じます。
樋口選手は4回の平均タイムは59分39秒25となり、過去に5人しか達成していない4回平均60分切りを余裕で達成しています。
4年間の合計では優れた実績を残しました。
チームの5年連続シード権獲得を支え続けました。
今大会で区間2位の東海大・中島選手、区間3位の東洋大・今西選手、区間4位で小野田選手ですら追い抜くのに手間取った法大・坪井選手も、現行コースの歴代3位、4位、5位にランクイン。
86年大会以降の6区の34大会の歴史の中でも歴代3位、5位、9位に入るタイムでした。
区間5位の帝京大・島貫選手も58分44秒で走り切り、今大会の6区は57分台の区間賞を筆頭に区間5位までが59分を切るという、山下り史上最高レベルの戦いとなりました。
区間記録が57分台に伸び、4年連続59分を切る選手が出現し、区間5位までが58分台を記録。
長らく、箱根駅伝の6区では60分を切るタイムは好記録とされてきましたが、これからは59分台では好記録とは言えない時代に突入したように感じます。
個人的にはこの価値観の大変動は、86年大会以降の6区ではこれが2度目だと思います。
1度目は98年大会、99年大会に出場した山下りの天才ランナー神奈川大・中澤選手の爆走によってでした。
97年大会までの区間記録は追い風の中で出された59分07秒でしたが、98年大会で58分44秒、99年大会で58分06秒と、無風の中で区間記録のレベルを爆発的に伸ばしました。
60分を切った選手を相手にして2分弱も差をつける走りは、59分台は一流の記録というそれまでの6区の常識を覆すものでした。
しかしその後58分台で走る選手がバンバン出てくる、ということはなく、その後の00年大会~10年大会の間で58分台を出した選手は4人だけでした。
59分台の記録は一流とまでは言えないけど、依然として好記録である事には違いないと思っていましたが、最近の6区のレベル上昇と、それが極まった感のある今大会の結果を見ると、もはや59分台の記録では、良くも悪くもない程度の記録という感じかも知れません。
59分台は総合上位を狙うチームにとっては物足りない記録、シード権を狙うチームにとっても最低限の記録であり、60分をちょっと切った程度では好記録とは言えないレベルになってきたと思います。
小野田選手の大活躍によって区間記録が57分台に、4回平均タイム最速記録は58分台に伸び、気が早いですが次は56分台の区間記録と4回平均の57分台をどうしても期待してしまいます。
86年大会以降の区間記録は、59分台が初めて出たのが88年大会、その10年後の98年大会で58分台、更に21年後の19年大会で57分台に突入しました。
4回平均の60分台が初めて出たのは97年大会、その5年後の02年大会で59分台、(現行の距離ならば)更に17年後の今大会で58分台が出ています。
記録のレベルが高くなれば、そこから更にレベルアップする為には時間がかかるのは当然です。
おそらくですが、56分台の区間記録や、4回平均57分台が出るのは30年~40年後くらいでしょうか。
小野田選手が開いた扉の先の世界は、かなり奥が深そうです。
もっとも、山上りの順大・今井選手や、全日本8区で大爆走した山梨学大・モグス選手のように、時代を先取りしたような大記録が出る事もあるのが大学駅伝というものですから、6区でも飛躍的に記録のレベルを向上させるような走りをする、新しい時代の選手の登場に期待したいです。流石に40年待つのはきついです。
・ 総合10位タイム、総合20位タイム
総合タイムでもついに出ました!
10位でゴールした中央学大が総合タイムで11時間09分23秒を記録し、ついに10位が11時間10分の壁を破りました。
20位の城西大も11時間19分57秒でゴールし、初の20位の11時間20分切りでした。
私は以前から10位、20位がこのタイムをクリアする事に期待していました。
今年は復路のゴールに生観戦に行ってしまったのでリアルタイムで10位や20位のタイムを知る事は出来なかったのですが、帰宅後にネットの記録速報と照らし合わせながら、8区、9区、10区の録画を観賞しました。
10分切りと20分切りに注目している私は、各中継所の通過タイムや、定点の通過タイムで、10分切りペース、20分切りペースを勝手に作って、照らし合わせながら観戦しています。
10区では、10位の拓大が10分切りペースから1分程度前をキープする走りを続け、終盤には10位の対象が中央学大に切り替わりましたが、10分を切れそうなペースでした。
20位の城西大は微妙で、鶴見中継所の時点では20分切りペースよりも少し遅れていたのですが、アンカーの大里選手が健闘し、新八ツ山の定点では僅かに上回り、最終的に20分を3秒切りました。大里選手は区間4位の好走でした。
ちなみに、19位の大東大の10区の選手が終盤にペースダウン気味だったので、順位が入れ替わってしまうと、20位の対象が大東大に切り替わってしまうため、ヒヤヒヤしながら見ていました。
大東大は城西大よりも9秒早い11時間19分48秒でゴールしています。
10位の10分切りと20位の20分切りに注目していたのは、それがキリの良い数字だからというのもありますが、以前の箱根では、11時間10分切りが優勝争いや上位争いが行われるレベルで、11時間20分切りがシード権を争うレベルだったので、かつての上位争いレベルがシード争いレベルに、かつてのシード争いレベルが20位争いレベルになってくれたら、まさにそれは進化と言えると思っていたからです。
11年大会以降毎年発表している駅伝SLGでの予想では、14年大会でシミュレーション上の20位の20分切りが達成されていましたが、現実の20位は25分56秒であり、大外れでした。
10位の10分切りも16年大会の予想時にシミュレーション上で出ましたが、現実は15分21秒でありこれまた大外れ。
シミュレーション上でもこれまでは10位の10分切りと20位の20分切りは上記の2例だけでしたが、今大会で10位は3年ぶりに10分切り、20位は5年ぶりの20分切りが予想されました。
両方とも現実になるという最高の結果でした。(城西大は力を出し切れなかった結果の20位だったので喜んで良いかは微妙でしたが)
現在と距離が近くなった99年大会以降、優勝タイムと10位タイムのレベルが大きく上がる11年大会の前までの、総合1位、3位、10位のタイムをまとめてみました。
99年大会
1位 11時間07分47秒
3位 11時間15分10秒
10位 11時間29分47秒
00年大会
1位 11時間03分17秒
3位 11時間09分58秒
10位 11時間23分27秒
02年大会
1位 11時間05分35秒
3位 11時間09分54秒
10位 11時間22分40秒
03年大会
1位 11時間03分47秒
3位 11時間12分52秒
10位 11時間17分33秒
04年大会
1位 11時間07分51秒
3位 11時間16分17秒
10位 11時間21分48秒
05年大会
1位 11時間03分48秒
3位 11時間07分48秒
10位 11時間14分49秒
06年大会
1位 11時間09分26秒
3位 11時間11分53秒
10位 11時間16分00秒
07年大会
1位 11時間05分29秒
3位 11時間12分07秒
10位 11時間19分14秒
08年大会
1位 11時間05分00秒
3位 11時間11分05秒
10位 11時間17分12秒
09年大会
1位 11時間09分14秒
3位 11時間13分05秒
10位 11時間18分33秒
10年大会
1位 11時間10分13秒
3位 11時間15分46秒
10位 11時間21分57秒
01年大会は強い風が吹いた大会なので除外しました。
全体的には強風はなくても、局地的に気象コンディションが悪化した年もあります。
距離の違いは、99年大会は現在よりも距離が約48m短いです。
00年大会~14年大会は現在よりも約40m短いです。
06年大会から4区が短縮され5区が延長されますが合計距離は同じであり、00年大会~14年大会の総合コースは公式に同一とされています。
02年大会以前はシード権は9位までです。
99年大会から10年大会までは、概ね11時間10分を切れば上位争い、年によっては優勝争いが出来ました。
11時間20分を切れば10位前後の順位が狙えた年も多いです。
今大会では、シード権争いは一昔前の上位争いや優勝争いのレベルで行われ、20位は一昔前のシード権争いのタイムで走り切りました。
箱根駅伝はまさしく進化しました。
記録ずくめだった今大会はこれまでの年とは明らかにレベルが違いました。
平成最後の年に行われた今年の2019年大会。
新元号を前にして、2020年代を前にして、東京オリンピックを前にして 箱根駅伝は一足先に間違いなく新しい時代に突入しました!
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